- 10月4日(日)
- 一般発表
- 15:40−16:20
- 〈オンライン2〉芸術史
J. W. ウォーターハウスの《アポロとダフネ》に関する考察
若名 咲香(筑波大学)
W. ウォーターハウス(1849-1917)は《アポロとダフネ》(1908頃)で、『変身物語』に取材し、アポロに追われるダフネが捕まる直前に月桂樹に変身する場面を描いた。先行研究では、G. L. ベルニーニ(1598-1680)の彫刻からの影響や、後年アポロの足に施された加筆が言及されてきたが、アポロの手が描き直された点は見逃され、作品の詳細な解釈や修正意図の解明には至っていない。本発表では、ウォーターハウスの《アポロとダフネ》において、手と視線の表現によって示唆される樹木への変身に潜む緊張が、19世紀末のイギリスで提唱された「自然への原初的共感」と呼応することを指摘する。
《アポロとダフネ》には、樹木への変身の瞬間に凝縮された追跡者と逃亡者の緊張が描かれている。アポロとダフネの接触寸前の手の描写は、後年画家が描き直したもので、1909年の作品の写真が示す通り、元々アポロの手はダフネの肩に触れていた。この修正は、画面の緊張を強調するために行われたと考えられる。画家は《アポロとダフネ》制作前後に、魔女が薬を注ぐ寸前の場面や、誘拐間際のペルセポネのイメージを孕む花を摘む女性図像を描いており、瞬間に潜む緊張に関心を寄せていた。加えて、アポロとダフネの交差する視線も、両者の緊張を際立たせている。これまでに論及されていないが、ウォーターハウスは図像的源泉として H. レイ(1859-1928)の《アポロとダフネ》(1895)や E. バーン=ジョーンズ(1833-1898)の二点の《フィリスとデモフォン》(1870, 1882)を参照し、これらの作品から交わる視線の表現を継承し、緊張の描写へ繋げていた。
ウォーターハウスの同時代人 J. A. シモンズ(1840-1893)は、『ギリシア詩の研究』(1873- 1876)において、人間性にサテュロス的本能が内在すると述べ、これを「自然への原初的共感」と呼んだ。「自然への原初的共感」は文明社会に潜む野性であり、近代化が進む19世紀後半のイギリスに緊張をもたらす主張だったが、P. トリッピが述べているように(J. W. Waterhouse, 2002)、ウォーターハウスはシモンズに影響を受けていた。画家は《アポロとダフネ》において樹木と絡み合う身体を描き、「自然への原初的共感」との共鳴を見せている。バーン=ジョーンズ作品や E. ド・モーガン(1855-1919)の《ドリュアス》(1885)等では、樹木への変身の主題を扱いながらも身体と樹木が明瞭に描き分けられていた。一方ウォーターハウス作品では、人間と自然の境界が曖昧化されており、同様の表現が《ハマドリュアス》(1893)や《フィリスとデモフォン》(1906)等でも行われている。
このように、ウォーターハウスの《アポロとダフネ》には、樹木に変身する瞬間に潜む緊張が描かれているが、それは人間と自然が混然とする緊張でもあり、19世紀後半のイギリスに波紋を投げた「自然への原初的共感」とも結びつくのである。
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