10月4日(日)
若⼿研究者フォーラム
13:20−13:50
〈オンライン3〉現代美術2

現代アート作品にみる布と自我の関係性 : リジア・クラークの作品を中心として

飯沼 洋子(京都大学)

ロバート・モリスなどの作品に見られる様に、1960年代以降、布や生地はソフト・スカルプチュアの制作素材として認められ、アート作品に取り込まれ、現代ではこうした布を活用したアート作品は当たり前の様に溢れかえっている。この様な状況において、美術史上における布とは何であったのか、美術論、哲学論、精神分析論からの観点より改めて足跡を辿り直し、現代美術史においての役割を明らかにする必要があるのではないか。本稿では特に布と自我の関係性にみえる身体論を中心に考察していく。

美術史上、絵画や彫刻にみられる布は身体(裸体)に巻きつけられ、時には身体を覆い、時には露わにする。キリスト教美術では神愛を示す裸体と着衣の、バロック時代では、ジル・ドゥルーズがモナドロジーの存在論を介して、著作『襞-ライプニッツとバロック』にて考察したように、襞化する魂と身体の共生の表象であった。現代美術史でも同様にこれらの系譜や歴史をふまえた作品は存在するが、現代人の身体観が変わるにつれ、布に見られる表象もまた、新たに展開されていく。

ポール・ヴァレリーの『固定観念』に見られるように、20世紀における身体論とは、皮膚が自らが知覚することのできる最大の内臓器官であることの発見にある。身体の表面としての皮膚と自我の結び付き(Extoderme)は、フランス精神分析医であるディディエ・アンジューの名著『皮膚-自我』でも論究される。

これに対し、ラカン派の精神分析医ウジェニー・ルモワーヌ・ルッチオーニは、皮膚(身体) は魂の入れ物、それこそコートのようなものであり、皮膚は自我ではなく、むしろ、第二の皮膚である衣服こそがもう一人の自分(Doublage)なのだとする。ルッチオーニは人間にとって重要なのは衣服であり、衣服は私たちが胎児の際に失ったプラセンタの模倣品、そして脆弱な人間を守り覆う膜であると『衣服の精神分析』にて論述する。

衣服は自我を包む覆いであるが、皮膚と同様に接触、振動を伝える内臓器官であることを、ブラジルの現代美術作家、リジア・クラークの作品を通してみることができる。リジア・クラークはセラピーの要素を含んだ作品を多く発表するが、そこで重要な作用をするのが、「リレーショナル・オブジェクト」の存在である。クラークの作品では、衣服や布、糸などの要素は「リレーショナル・オブジェクト」の一つとして参加者を胎化させる作用があり、言葉の粋を超え、触れ合うことで、より表面を触覚し、自己と他が一つになることを認識させるのである。このように衣服は自己と他者を繋ぐ役割を果たすことになる。自分だけのものであった自我と身体は、布という膜を媒介に他者へと共感され、現代美術史上において新たな身体観へと展開される。

発表資料PDF:「現代アート作品にみる布と自我の関係性 : リジア・クラークの作品を中心として:飯沼 洋子(京都大学)」

10.04
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