- 10月4日(日)
- 若⼿研究者フォーラム
- 13:20−13:50
- 〈オンライン2〉現代美術1
ナムジュン・パイクにおける「アクション・ミュージック」の意味と重要
李 珉炅(京都⼤学)
ナムジュン・パイク(Nam June Paik 1932~2006)は、1959年に《ジョン・ケージに捧ぐ(Hommage à John Cage)》を発表し、⾳楽家として芸術界にデビューした。その後も《シンプル(Simple)》(1961年) などを作曲し、フルクサスに参加する以前から⻄ドイツで⾳楽活動を続けていた。パイクは特に⾳楽の限界を超え、諸要素を拡張させることに興味を持っていた。そのため、サウンド・コラージュと過激な⾏為を作品の重要な要素として活⽤し、⾃⾝の初期活動を「アクション・ミュージック」と呼んだ。
その後、彼は反芸術を志す芸術動向であるフルクサスに初期メンバーとして参加し、彼の作品は複数のフルクサスのイベントで公演され、紹介された。しかし、彼の「アクション・ミュージック」作品は、「芸術と⽇常の境界を取り払う」というフルクサスの反芸術マニフェストとは異なる要素も持っていた。というのも、作品の内容として楽器を壊す、聴衆に向けて銃を撃つ真似をする、⾖を投げるといった乱暴な⾏為や、⼥性の悲鳴や戦争に関するニュースが含まれ、⽇常的というより、むしろ聴衆を危機に晒し、知覚を促進させるものであったからだ。これらは、聴衆を⽇常から切り離して作品を認識させる効果を持っていたと考えられる。
1964年以降パイクがフルクサスのイベントで⾏ったシャーロット・モアマンとの複数の共演作は、1980年代のビデオ作品にも挿⼊されており、彼の芸術全般を理解する上で重要と⾔える。これらの作品は、ロボット《K−456》が登場したり、モアマンが半裸になったりするなど、「アクション・ミュージック」のように刺激的な要素を含むパフォーマンスだった。しかし、公演でパイクは直接「アクション・ミュージック」を演奏せず、他者を通してパフォーマンスを⾏い、直接的に聴衆を攻撃する⾏為は⽋いたため、ニューヨーク・フルクサスのハプニングとして捉えられてきた。
本発表は、パイク⾃⾝が明確に定義することのなかった「アクション・ミュージック」の意味を明らかにし、パイクの1960年代から1970年代にかけて⾏われたパフォーマンス作品を単にフルクサス活動として限定するのではなく、「アクション・ミュージック」の延⻑として捉え直すことを⽬的とする。具体的には、パイクのデビュー作の要素を「アクション」と「ミュージック」⼆つの側⾯から分析する。先⾏研究は「アクション」の視覚的な要素にのみ注⽬しているが、本発表は同時代におけるアクションとミュージックが内包する意味とを⽐較し、パイクの「アクション・ミュージック」を定義する。続いてモアマンとの共演作の要素を分析し、その関係性を明らかにすることで、パイクの「アクション・ミュージック」の重要性を浮き彫りにすることを⽬指す。
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