10月4日(日)
若⼿研究者フォーラム
13:20−13:50
〈オンライン1〉映像・演劇

ブルーノ・ムナーリの視覚実験について

佐藤 佳弥(京都⼤学⼤学院)

ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は、1977年に上梓された著書『ファンタジア』で作品を介した制作者と鑑賞者の視覚的な情報伝達を重視したワークショップについて論じた。本発表は、70年代以降、ムナーリによって展開されたワークショップ型の芸術教育の成⽴背景を、60年代になされた視覚実験との関係から考察するものである。

ムナーリは 67年にハーバード⼤学カーペンターセンターで視覚⾔語について講演し、翌年その内容を『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』と題して出版した。そこでは、1963年から彼が主導していた、三次元的な視覚実験を主とする運動「アルテ・プログランマータ」と実験映像研究所「ストゥディオ・ディ・モンテ・オリンピオ」で⾏われた研究への⾔及がみられる。これまで「アルテ・プログランマータ」については理論⾯での検証がなされており、作品構造が持つ解釈の多重性、作者と鑑賞者の双⽅的な情報伝達を探求していたことが指摘されている(Meneguzzo, 2015)。しかしながら「ストゥディオ・ディ・モンテ・オリンピオ」で作られた実験映像については、⼗分な検討はなされていない。ムナーリが『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』の中で述べるように、彼はこの研究所での活動を通して、映像⾔語における構成要素についての実験を⾏った。また、制作されたムナーリの作品の⼀部は、1983年にアンソロジー・フィルム・アーカイヴズで「構造映画」の先駆けとして紹介されている。以上のことから、彼の関⼼は、映像の構造的な側⾯に着⽬し、映像を介した情報伝達の可能性を探ることであったと考えられる。

さらに、60年代になされた作品構造をめぐる探求は、ムナーリ⾃⾝による過去の作品に対する捉え⽅にも変化を及ぼした。発表者がとりわけ着⽬するのは、上記の実験映画製作所で1963年に制作された『光の⾊』と、この作品の雛形となる<映写>シリーズである。このシリーズは、1953年に未来派の探求を引き継ぎつつ、その課題を乗り越える「動く絵画」として制作されており、当初は作者と鑑賞者を繋ぐコミュニケーションと関連付けられることはなかったようだ。1970年代に⼊ると、ムナーリは『ファンタジア』の中でこの作品を⽤いたワークショップについて記しているように、この頃にはこのシリーズはコミュニケーションの媒体として捉えられることになる。実際に、ワークショップの中では、制作者が投影したプラスチックや繊維、葉脈などの抽象的な映像の意図を明確に表現し、他の参加者に伝達することが求められた。つまり、このシリーズをどのように捉え、どのように活⽤するかについてのムナーリの意識が 60年代を経て変化したと考えられる。発表者は、このように〈映写〉シリーズの捉え⽅に読み取れるムナーリの意識の変化が、とりわけ 60年代に先述の⼆つの活動で⾏われた作品構造をめぐる実験によって引き起こされたことを⽰す。

発表資料PDF:「ブルーノ・ムナーリの視覚実験について:佐藤 佳弥(京都⼤学⼤学院)」

10.04
プログラム一覧へ

オンライン参加方法

ZOOMを利用して開催します。

  参加方法のマニュアルをPDFでダウンロード

オンライン参加方法