- 10月3日(土)
- 若⼿研究者フォーラム
- 16:25−16:55
- 〈オンライン3〉美術1
1920 年代のハンネス・マイヤーの「集団(Kollektiv)」概念について
岩澤 ⿓彦(専修⼤学)
近年、建築家、ハンネス・マイヤー(Hannes Meyer、以下「マイヤー」とする)の再評価の動きが⾼まっている。1989年の⽣誕100年を記念した展覧会に始まり、2015年にはバウハウス・デッサウでマイヤー期バウハウスの集団的造形(kollektive Gestaltung)に焦点を当てた展覧会が開かれた。さらに、2018年にはバウハウスの世界的な広がりを追うプロジェクト、bauhaus imaginista. Moving Away でソ連期のマイヤーについての展覧会と論考が提供された。2019年にはハンネス・マイヤー論集が公刊され、マイヤーが幅広く論じられ、2020年6⽉にはカッセル⼤学によって、マイヤー体制下のバウハウスで構想された「成⻑する住宅」が具現化された。このようなマイヤーを肯定的に再評価する傾向の背後には、 建築設計、芸術作品制作、さらにはわれわれの⽇々の⾏いの中で分野横断的な試みの拡がり、建築教育と建築家の職能への批判と反省がありその分野横断的な建築設計、建築家の職能への反省の先駆者としてマイヤーの設計論、「集団的」造形がポジティブに評価されている。
しかし、マイヤーの掲げる「集団(Kollektiv)」はバウハウスに就任して以後に突如現れたものではない。むしろ、1919 年に完成した、スイスはバーゼルにあるフライドルフ集合住宅(Freidorf Siedlung)、1924年からエル・リシツキー(El Lissitzky)やマルト・スタム(Mart Stam)を中⼼にして刊⾏が始まり、1926年には編集を務めた建築雑誌、『ABC:建設への貢献』誌(以下、『ABC』)を通じて培われた、重要な概念である。この「集団」概念をマイヤー通史の観点から追った研究は未だない。本研究の⽬的は、マイヤーのこの「集団」概念の 1920年代での変遷を追うことにある。
マイヤーは 1919年に竣⼯したフライドルフ集合住宅についてのテキストを 1920年代前半に残しているが、そこで「集団」という⾔葉が頻出している。ここでの「集団」はその集合住宅がスイス・コープ(消費者組合、⽣協)の依頼によるものであったから、組合という集団を指しており、マイヤーが設計した複数の建物で営まれる、資本主義社会とは別の相互⾃助的な組合的⽣活、すなわち、集団的な⽣活を指していた。
1920年代の中頃からは『ABC』のメンバーらと関わるようになっていくが、そこでも「集団」が論じられていた。そこでは⼿⼯業的な建設から脱し、⼯業産業を代表するエンジニアと建築家との協働による設計・建設を指して「集団」的な建設が論じられていた。そして1926年にマイヤーが発表した論⽂、「新しい世界」ではエンジニアとの協働という意味での「集団」を芸術制作へと汎⽤させた。
そして 1927年にマイヤーはバウハウスに建築科のマイスターとして就任した際には、グロピウスに、「私の教えの基本的な傾向は、「ABC」、「新しい世界」という意味で完全に機能的―集団主義的―構築的です」と書き送り、「集団」的な造形活動を具現化させた。
このようにしてバウハウスで具現化された「集団的」造形がマイヤーによって培われていった。
発表資料PDF:「1920 年代のハンネス・マイヤーの「集団(Kollektiv)」概念について:岩澤 ⿓彦(専修⼤学)」
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