10月3日(土)
若⼿研究者フォーラム
16:25−16:55
〈オンライン2〉美学2

2000年以降のダンス研究におけるネルソン・グッドマンのノーテーション理論
―争点としてのオートグラフィック/アログラフィック―

児玉 北斗(立命館大学)

ダンス・ノーテーションは、18世紀ヨーロッパにおける宮廷舞踊では広く使用されていたものの、音楽における楽譜のような普遍性を獲得するには至っていない。楽譜や脚本のように作品の同一性を担保する記号体系を欠くダンスをめぐって、1960年代後半以降、「消失」の芸術という言説(マルシア・シーゲル,1972)も生じた。同時期にネルソン・グッドマンは『芸術の言語』(1968)  において「ダンスの記譜法は可能か」という問いを起点としてノーテーションの哲学的考察に着手した。その際に提示されたオートグラフィック/アログラフィックというモデルは、ジョセフ・マーゴリス(1981)などによって問題点を指摘されながらも、現在まで断続的に参照され続け、特に近年再燃しているダンスの作品概念の検討における重要な争点の一つとなっている。

本発表ではそれらの議論を牽引する二人の論者によるアプローチを比較検討し、グッドマンの 問いとオートグラフィック/アログラフィックというモデルが2000年以降いかに議論されているかを検証したうえで、今日のダンス研究におけるその意義を論じる。

グラハム・マクフィー(2011)は、反復可能な芸術作品とその上演の関係性をタイプとトークンの関係で説明するタイプ説を援用し、ノーテーションをダンス作品の同一性の問題を解決する  ための方法として再検討する。ノーテーションは記録としてだけでなく、作品の基本条件を公のものにすることで上演に対する規範的なレシピとなり、結果として作品を保存できることから、マクフィーは作品(タイプ)をノーテーションによって明示することで上演(トークン)の同一性が確保されるという「ノーテーション可能性のテーゼ」を擁立する。そしてグッドマンのモデ ルの過剰な厳格さを批判しつつもノーテーションを肯定し、むしろダンスに必要不可欠なものとして推進する。

一方、フレデリック・プイヨード(2009)は、グッドマンの議論を発展させたジェラール・ジュネット(1994)を踏まえた上で、実践的な視点からグッドマンのノーテーション理論を乗り越えようとしている。ダンスのオートグラフィックでもアログラフィックでもないあり方を尊重しつつ、現在はダンスの現場においてほとんど使用されていないという事実を重視してノーテーションに否定的な立場をとる。

このようにグッドマンのモデルは批判的に検討されながらも、ダンスの存在論とノーテーションの問題を接続する鍵概念として機能し続けている。本発表ではさらに、これらの議論の背景にあるダンス作品の様態の変化、ならびにアーカイヴの問題などダンス研究が現在直面している課題を射程に含め、その妥当性を論じたい。

発表資料PDF:「2000年以降のダンス研究におけるネルソン・グッドマンのノーテーション理論
―争点としてのオートグラフィック/アログラフィック―:児玉 北斗(立命館大学)」

10.03
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