10月3日(土)
一般発表
14:05−14:45
〈オンライン2〉芸術と文化

「もどき」芸における嘲笑の考察

田嶋 麗(実践女子大学)

第70回美学会若手研究者フォーラム発表報告集において発表者は「日本の芸能における「もどき」の二面性について」を論じた。その際、奈良県・春日若宮おん祭りのもどき開口と神奈川県・鎌倉神楽の毛止幾という芸態の異なるもどきを比較し、個々の性格から前者を「猿楽型もどき」、後者を「祝詞型もどき」と仮に分類した。

この論文内で、発表者は日本の芸能に固有の物真似には「学び」「茶化し」「説明」という三つの要素があるのではないかと推測した。本発表ではこの三要素のうち「茶化し」に焦点をあて、笑いを伴う芸能としてのもどきとその笑いがもたらす意味を考察する。

「茶化し」とあるように、もどきに見られる笑いは嘲笑の類いである。その顕著な例としては、長野県・新野の雪祭りの茂登喜と神奈川県・鎌倉神楽の毛止幾が挙げられる。これらのもどきでは、鎌倉時代中期刊行『塵袋』を引用するならば「をとらしとふるまふ」すなわち、あえて前座の芸能を劣った振舞いで模倣し滑稽に繰り返すことで観客から笑いを誘う。

このように笑いを伴う芸能の最古の例としては天岩屋戸神話が挙げられる。この神話において滑稽な姿に扮して舞い踊り、居合わす神々の笑いを誘う天鈿女命は神楽の発生ともされている。また、天鈿女命の舞は「わざおぎ」と称される。

この「俳優(わざおぎ)」の語は山幸海幸説話にも登場し、「物真似などの面白おかしい技と所作で歌い舞い、神人を慰め楽しませる人(須藤功『神と舞う俳優たち』)」の意をもつ語であるとされている。これらのことから、日本において芸能を演じる者には元来模倣や滑稽仕草の性質があることが推測される。

海幸山幸説話を起源とする隼人舞では、この滑稽仕草によって起きる笑いが嘲笑に寄る。これは海幸が自身の敗北時の仕草を滑稽に再現することで、山幸への服従の証とするという芸能である。このような服属者の芸能としては他に久米舞等があり、一つの芸能パターンと仮定できるのではないかと考えた。

また、発表者はこの服属者芸能のパターンにもどきも分類が可能ではないかと考察している。これは、折口信夫説でもどきの発生が主たる神と土地・草木の精霊との対立関係にあるとされるからである。隼人舞と同じく精霊は神に制圧される。本発表で取り上げる二つのもどきがいずれも非音声言語芸能であるのは、この制圧の際に言語が奪われたからであると推測される。

何故このような芸能パターンが存在し、そこに笑いが伴うのだろうか。隼人舞は大和政権による異民族支配の歴史にもなぞらえられる。当時の人々にとって、異民族や土地の精霊といった存在は、自分たちとは異なる非日常の存在であった。己の理解や制御の範疇外の存在を理解可能な範疇へ変換する際に人は笑いと模倣を伴う芸能を利用したのである。このように嘲笑という行為が芸能にもたらす意味の変換・転換の側面について明らかにすることを本発表では目標としている。

発表資料PDF:「「もどき」芸における嘲笑の考察:田嶋 麗(実践女子大学)」

10.03
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