10月3日(土)
一般発表
13:20−14:00
〈オンライン2〉芸術と文化

ヘネラリーフェ庭園修復史におけるプリエト=モレーノの役割
―トーレス・バルバスとの比較を中心に―

佐藤 紗良(東京大学)

スペインのグラナダに位置するアルハンブラ宮殿は、13世紀ナスル朝の時代から続く城塞都市である。その離宮であるヘネラリーフェはアルハンブラを見下ろす丘陵に位置し、簡素な建築群及び豊かな水と植物を持つ庭園群で構成される。

アルハンブラは長年の断続的変化によりスペインにおける歴史的建造物の修復モデルにもなってきたが、ヘネラリーフェの国家的修復は、1921年に国の保有物としてアルハンブラに統合された後にようやく開始された。その修復に着手したのは、歴史的建造物の「保存」というアプローチを国内にもたらしたレオポルド・トーレス・バルバス(Leopoldo Torres Balbás, 1888-1960)であった。フランシスコ・プリエト=モレーノ (Francisco Prieto-Moreno, 1907-1985)はその後継として、1937年頃からアルハンブラ修復に従事し、現ヘネラリーフェの主要庭園の外観をほぼ完成させた。

トーレス・バルバスの修復方法を踏襲した人物として、従来付随的な扱いを受けることが多かったプリエト=モレーノだが、近年体系的な研究が進み、アロア・ロメロ・ガジャルドは彼を、ランドスケープデザインを重視し、建築と自然の共生を最大限に表現した建築修復家であると評している。しかしヘネラリーフェにおける彼の庭園修復を俯瞰するならば、周囲の自然要素こそが重要であるとしつつそこに野外劇場や駐車場を建設するなど、ランドスケープの改造も行っていることが分かる。こうした背景を踏まえ、本発表ではプリエト=モレーノの修復尺度及びランドスケープ観を彼自身の言説から明らかにし、前任者トーレス・バルバスとの比較を通じてヘネラリーフェ庭園修復史におけるその位置付けを検証する。

トーレス・バルバスはヘネラリーフェにおいて、壁の代替物や過去の建築物の形状復元の道具として植物を利用した。彼の修復理論には、後続の研究者のために修復箇所と現存箇所を識別可能にするという指針があり、植物によってそれを可能にしたとも言える。プリエト=モレーノも「イトスギのカーテン」という表現で同型の手法を利用している。しかし一方で、当時の保存概念から乖離する側面が見られることも看過できない。というのも、当時の庭園の「保存」だけではなく、発掘調査に基づき花壇の地表レベルを下げたり観光客の増加を意識した「古代の庭園」をも造園しているからである。すなわち、自らが規定した一時代の様相を産出しようとしたと考えられる。独裁政権下における修復作業の制約という歴史的背景は踏まえなければならないものの、彼が自ら当時のグラナダ庭園やヘネラリーフェ内の他庭園から美的要素を再利用した点も注目に値する。これらは相互に影響を与え合い「スペインムスリム庭園」として進化を遂げていった。プリエト=モレーノのヘネラリーフェにおける修復は、トーレス・バルバスの「擬建築」とも言うべき植物の利用法を模倣しつつ、不可逆的な過去を現代に蘇らせることで新しい伝統を生み出したとも言えるだろう。

発表資料PDF:「ヘネラリーフェ庭園修復史におけるプリエト=モレーノの役割
―トーレス・バルバスとの比較を中心に―:佐藤 紗良(東京大学)」

10.03
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