- 10月4日(日)
- 一般発表
- 15:40−16:20
- 〈オンライン1〉美学
柳宗悦における神秘主義の民藝論および仏教美学への影響
足立 恵理子(京都大学)
一般に民藝運動の創始者として知られる柳宗悦(1889-1961)は、1910年代には雑誌『白樺』での活動が目立つものの、その後は民藝運動の開始に至るまで、宗教哲学研究を重ねていた。とりわけ西洋神秘主義思想の研究が中心的な位置を占めており、当時は世間にも「宗教哲学者」として知られていた。しかし、1921年の論考「陶磁器の美」において「物」に「一者」性を見出したことを切掛けに、民藝運動を代表として、その関心は一気に美の方へと焦点が合わされてゆく。こうした転回の中で、それ以前の神秘主義研究が顧みられることはなかったのだろうか。本発表では、この神秘主義思想を中心とした宗教哲学研究が、後年の柳の民藝論および「仏教美学」において、いかにして引き継がれているか、その理論的な連関を検討する。
柳は晩年の「宗教と生活」において、「宗教とは吾々の生活を一者に結びつけるものであります」と述べている。柳は民藝運動を開始し、精力的に活動を進めてもなお、それが宗教の問題から逸脱したわけではなく、問題意識を同じくした、同一の探究上にあると考えていた。こうした柳の宗教と美との結びつきは鶴見俊輔や阿満利麿らによって取り上げられながらも、単なる柳個人の美への傾倒、趣味趣向として理解されるに終始し、両者が連関する内在的な論理が追及されることはなかった。しかしながら、民藝という「もの」を通してまで柳が美を重視した点、民藝運動以後に「仏教美学」を打ち立てることで宗教と美とが連関する理論を展開する試みを重ねていた点を考慮するに、柳のうちでの両者の結びつきには明確な理論的な背景が認められるのではないだろうか。本発表では、まず柳における宗教の意味するところを明らかにし、その宗教と美との結びつきの端緒として、先述の「陶磁器の美」において「私は其の美[陶磁器の美]がいつも『一』としての世界を示しているが故であろうと思う。『一』とはあの温かい思索者であったプロティヌスも解したように、美の相ではないか。私は宋窯に於て裂かれた二元の対峙を観る場合がない」([ ]内筆者)と柳が述べた点に注目し、「一」概念を軸として考察を進めてゆく。その過程で柳がプロティノスに受けた影響を明らかにし、「見ること」と「作ること」の理解におけるその展開を追う。最後には在り方と美とが結びつく柳の理論において柳独自の「一」論とでも言うべきものがいかにして形成されたかを明確にする。
以上の考察から、最終的に導き出される「一」論を柳における宗教と美との連関の論理として、柳の思想的営為を再構成する。これまで実践家としての側面を特徴として正当に評価しようとするあまり、その理論家としての側面は充分に顧みられてこなかった柳宗悦であるが、本発表はその点を補うものでもある。
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