- 10月3日(土)
- 若⼿研究者フォーラム
- 15:50−16:20
- 〈オンライン3〉美術1
「傾向芸術」としてのオット―・ディックス作品を問う
―イメージによる社会的・政治的意味の揺らぎをめぐって―
池⽥ 真実⼦(京都⼤学)
ドイツの画家オットー・ディックス(1891-1969)の諸作品は、戦争や労働者、貧しい⼈々、傷痍軍⼈など、社会的・政治的問題を主題としており、しばしば社会への「批判」や「告発」など、主題となっている社会問題に対する画家⾃⾝の主張や態度の表れとして論じられる。このような意味づけは、「傾向芸術(Tendenzkunst)」という概念に基づいているといえるだろう。20世紀前半のドイツにおいて、多くの画家が貧困や戦争などの社会問題を鋭く描き出した。そうした主題を扱った作品は、画家に応じて程度の差はあれ、画家⾃⾝の主張を少なからず表象していると⾒なされる。このように、社会的もしくは政治的⽂脈を有するような芸術作品が、なにかしらの「傾向」を有しているものとして、当時「傾向芸術」と呼ばれていた。
社会問題を主題とするディックスの諸作品もまた、当時からしばしば傾向芸術に含まれる。しかし、ウーヴェ・M・シュネーデ(2019)も指摘するように、論者によって彼の作品から読み取る意味が、時には正反対であるほどに様々であることを考慮するならば、傾向芸術としての前提は疑わしいものとなる。すなわち、ディックス作品における社会的・政治的意味の表れはそれほど明確なものではないのではないか、という問いが⽣じるのである。この問いから出発する本発表では、「傾向芸術」という概念を当時の批評⾔説を⽤いて詳らかにした上で、ディックスの諸作品を検討し、彼の作品における社会問題の表象の在り⽅を明らかにすることを試みる。
傾向芸術としてのディックス作品は、時に「グロテスク」とさえ形容される独⾃の描き⽅において、異彩を放っている。ある時は、戦争による⼈間の⾝体の破壊を過度に醜く描き(《戦争》〔1929-1932〕など)、またある時には、傷痍軍⼈の⾝体的⽋損を形式主義的に誇張して描く(《プラガー通り》〔1920〕など)。さらに、あらゆるものに平等に焦点があっているような、即物的な描き⽅は、本来背景にあるべきものまで強調し、その作品の社会的⽂脈を弱めてしまう(《マッチ売り II》〔1927〕など)。すなわち、ディックス作品におけるイメージそれ⾃体の圧倒的な強さが、傾向芸術として期待される作品の社会的あるいは政治的意味内容を揺るがすのである。
以上の議論から導き出されるのは、主題としては傾向芸術に接近しつつも、描き⽅で傾向芸術から離れようとし、作品における社会的・政治的意味を予感させつつも、そうした意味を突き崩してしまう場としてのディックス作品である。考察に際して「傾向芸術」という観点を導⼊する本発表は、作品内に特定の意味を探るのではなく、意味が揺らぐ部分にこそ、ディックスによる社会問題の表象の特徴があることを提⽰するとともに、芸術を介した社会問題への向き合い⽅を問うものとなる。
発表資料PDF:「「傾向芸術」としてのオット―・ディックス作品を問う
―イメージによる社会的・政治的意味の揺らぎをめぐって―:池⽥ 真実⼦(京都⼤学)」
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